BONANZAGRAM 2008
「intermezzo…その間を埋めるもの」

2008.10.27 東京芸術劇場中ホール

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Daiki Miura

BONANZAGRAM 2008


志賀信夫の「動くからだと見るからだ」

「静かな時間」

 丸椅子が十数個、整然と感覚をとって並べられた舞台に男女が数人座り、あるいは佇む。聞こえ始めた雨の音がかなり強くなり、そして流れる音楽がまず惹きつける。宗教音楽を思わせる鍵盤の伴奏に流れる歌声は、どこか機械の声のようでもあり、奇妙に神秘的な雰囲気が魅力的だ。中心に立つ黒いシャツとパンツの男、桝竹眞也が去っていくところは、ちょっと気取った雰囲気だが、ダンサーたちが、白い衣装と黒い衣装などでタイトな世界を作りだす。

 「雨音、または運命」と名づけられた二人の女性、桃谷幸子と大塚知美が双子のように似せて狂言回し、コロスのように全体の流れを引っ張っていく。この二人はユニゾンで動くときに、たびたび左右対照の動きをする。そうすると、その中心に主人公や物語を配するという美的な構成を作ることになる。この構成がなかなか美しく、面白い。時には他のダンサーもそれに寄与し、そしてまたそれを壊していく。その変化にまず惹きつけられた。

 三浦太紀は長くユニークバレエシアターに所属し、Bonanzagram(ボナンザグラム)というグループを立ち上げて、公演を行っている。ユニークバレエ所属のメンバーが中心だが、公演ごとにダンサーたちを集めて舞台をつくる。そのため、バレエ出身の技術を持った逸材がいる。

 ユニークバレエシアターは、堀内完と安藤三子(哲子)が作ったグループが元になっている。それは舞踏の歴史のなかでも、土方巽や大野一雄が登場する舞台だった。土方は青森でモダンダンスの増村克子に学び、1950年代、東京に出て安藤三子舞踊研究所の元に転がり込んでいた。当時はモダンダンス、ジャズダンス、マイムなどがいずれも新しいダンスとして混交した時代でもあり、土方は安藤のジャズダンスグループのメンバーとして、テレビ創世記のNHKなどにバックダンサーとして出ており、さらに江利チエミ主演の映画『ジャズ娘誕生』(1957年)にも出演している。

櫻井マリ&清水美由紀
 土方は、大野一雄ともに安藤の舞台に出演し、安藤にも迫ったともいわれるが、安藤は堀内完とユニークバレエグループを設立する。土方は、そこで図師明子に惚れた。図師は土方を逃れて、ネオダダにも関わった美術家の小原久雄(庄)とともにブラジルに渡り、小原明子として、日系人の独自のコミューンといえる「弓場農場」の振付家・演出家となった。この弓場バレエは人気を博し、ブラジル中を公演して、78年と91年には来日公演を行ったこともある。弓場農場はいまもブラジルに数十名の日系人によるコミュニティを作って自給自足、自然農法などの生活を続け、小原明子は、時折来日する。
櫻井マリ&桝竹真也
 その堀内完の二人の息子、元と充は若くからバレエ界で活躍し、兄弟ともローザンヌでスカラシップを得て、天才兄弟として、大きく話題になった。元はニューヨークシティバレエを経て、いまセントルイスバレエ団の芸術監督だ。充はいまも多くの舞台に客演し、ハイテクニックと情感溢れる踊りを見せてくれる。こういった背景があり、ユニークバレエという名前はとても気になる存在だ。いまをときめくNoismの金森穣も、出発はユニークバレエシアターだという。金森の父、勢がユニークバレエシアターのプリンシパルとして活躍し、穣も、ユニークバレエと父のスタジオで学んでいる。それから海外に渡り、以降の活躍はよく知られるところだろう。

 さて、舞台には雨の音が続いている。雨の音となると傘が出てくる。これがどうも日本のモダンダンスやモダンバレエの定石のように思える。すると、わかりやすい物語が生まれる。ダンスは身体表現であり、説明的な物は時に邪魔になる。そして男女の物語になっていくことで、ちょっとがっかりした。しかし、三浦は男女の話をベタにはしない。女性を引きずる場面もクールにかわし、現実味のない抽象化された物語を作り、すっきりと静かに見せる舞台が完成した。

 パンフレットによると、少年期、青年、いまの「私」と出会い、いまの「妻」、母や父などの役づけがある。そして、実は、母に捨てられ、父に捨てられ、新しい父が「母として」自分に接したという、極めて「私小説」的な物語があるらしい。三浦はそれを一つの「設定」として、その「感情」を描くという。三浦は、ダンスは「感情を表現するには言語以上に雄弁な場合がある」と書く。そうだろうか。確かに踊り手は「悲しみ」「怒り」「愛」などを表現することもある。しかし観客は、その感情自体を感じとるのではなく、さまざまなものを感じている。例えば「悲しみ」のダンスに「喜び」を、「絶望」のダンスに「希望」を見出すこともある。それこそが踊りの魅力ではないだろうか。タイトルの『インテルメッツォ』には「その間を埋めるもの」という副題がつき、観客とダンサーにその感情との隙間を埋めてほしいと、三浦は書く。しかしダンスは、表現者の意図を遙かに超えた何かを見る者に与える。それゆえに意味があると僕は思っている。あるいは、三浦が本当にいいたかったのは、そういうことかもしれない。

 現在の「妻」を演じる櫻井マリは、黒い衣装でしっかりした存在感を醸し出し、とても魅力的だ。また少年時代を踊る徳江弥は、短髪に半ズボンで個性を強く感じさせる。谷桃子バレエ団からグランディーバに行ったテクニックを垣間見せた。青年時代を演じる井上大輔は、桜美林大学で木佐貫邦子に学び、現在、伊藤キムの「輝く未来」に所属する若手だが、暴走せず抑えた踊りに時折、独自の感覚を感じさせた。桜美林で三浦にバレエを学んでいる。

徳江弥&篠崎太郎
STAFF

演出・振付/三浦太紀

照明/東原修・斎藤香
音響/吉塚永一
舞台監督/依田直之

清水美由紀&桝竹真也
 そして、特に切れのいい動きを見せる清水美由紀に、冒頭から注目した。まず、バレエテクニックのレベルが高く、それは手の動きの流れ方や、足の動きのちょっとしたアクセント、リズムにはっきりと見受けられる。またその清水が、濃いグレーのドレスに変わって演じる「母のおもかげ」では落ちついた愛情ある雰囲気を醸し、次に白に黒のショートパンツで活動的に踊る場面では溌剌さを見せるなど、冒頭からの白い衣装を含めると、三者、コントラストをつけて演じ分け、表現力という点でも、かなりの才能を感じた。井上バレエ団やバレエ協会の舞台に立つ若手バレリーナのようだ。期待したい。

 舞台全体にとても静かな時間が流れる。これを生み出す三浦は独自の感性を持っている。そして、例えばショートパンツの場面の群舞、そして前述の左右対照の場面などでは、高い構成力を感じさせた。もう少しテンションの強い場面を挿入すると、その静けさがより際立つとも思う。激しい動き、激しい音で一度舞台を切り裂き、そして再び、静かな時間に戻るとか。あるいは場面転換でもいい。今回のような、左右が開けた舞台で、ダンサーの出入りが見えるようにした構成は今風なのだが、一度それを転じて、背景を極端に落とし闇と光のコントラストをつけるとか、完全な暗転や緞帳を落とすことで場面を切り替えるなど、舞台に負荷とテンションをかけることで、この静かな感覚が、もっとくっきりと浮かび上がってくるように思えた。
 モダンダンス(バレエ)とコンテンポラリーバレエの中間にある作品だが、感情や物語を日本的ではない抽象化で描こうとする三浦太紀は、使用する音楽のセンスもよく、その感性を垣間見せる。今後も注目していきたいと思う。

2008.10.27 東京芸術劇場中ホール所見                   

舞踊評論家 しがのぶお